2013年08月28日

「ゲイの誕生」匠雅音


ゲイの誕生: 同性愛者が歩んだ歴史

怪しげな本かと思ったら(笑)社会的、歴史的な認識のもとに、以前から存在する男色と現在のゲイの違いを論じてあり、現在の日本社会への警鐘も含む論説には目を開かれる思いだった。何となく漠然と感じていたものを言葉にしてもらった感じ。

筆者の結論はほとんど第1〜2章ですでに出てしまって、あとは項目ごとに論証を重ねていくので興味のない項目は眠くなってしまう(笑)
まず、筆者は以前からある男色、同性愛行為を「ホモ」あるいは「ホモ行為」と呼んで現在のゲイと区別をしている。これにはたとえば、日本での衆道や陰間、武士や僧侶の小姓や稚児、あるいはギリシャの少年愛など、古くからある同性愛をさしている。この、以前からある同性愛の特徴を筆者は、成人男性と未成年男性(元服以降から二十歳ぐらいまで)との間の精神的なつながりを含んだ濃密な関係であり、それは年齢差を前提とした対等ではない関係だったと論じている。簡単に言うと(BL的にいうと)、年上が必ず攻めで年下が必ず受けで、それが逆転することはなかった。オヤジ受けとか年下攻めとかは絶対にありえない、あってはいけない世界だったようです、あらあら。
これはなんでかというと、現在のように工業や科学が発達する以前の社会は年功序列制で、文化にしても技術にしても、数々のノウハウというのは年長者から年少者へと受け継がれるのが当然で、そしてそれは身体的に覚えこませる的なものだった。しかも男性中心の社会だったから、その中で男同士濃密なつながりは社会の特にこそなれ、損になることはない。ましてや戦闘が頻繁だった社会では、主のために命を投げ出す覚悟なんて愛がなければできませんわね。象徴的なのは、ある民族で行われる成人男性が少年に精液を注入する通過儀礼の例で、大人から少年へとパワーを注ぎ込むことによって少年を立派な大人へと成長させる儀式だと考えれば、年齢秩序を重んじる社会で男色が当然とされていたことも納得がいく。織田信長と犬千代の例を何度も例として出してあるが、信長がみんなの前で犬千代(前田利家)と衆道関係だったと披露するとみんなが羨ましがったというのも理解できる。
つまりこの関係は、権力が上位の者(成人男性)から下位の者への一方通行の関係だったというのだ(強姦とかいう意味じゃないですよ、流れがってことで)。だから年下攻めのようにその流れが逆流することは許されない。性的関係も強力な年齢秩序に支配されていたわけだ。成人男性が絶対的な優位であった社会では性愛も成人男性中心で、成人男性が劣位者を選び、挿入する。その劣位者とは、若年男性であり、女性であったわけで、筆者が言うには社会的に劣位者である限りどちらを相手にするかは大きな違いはなかった。だから先の信長と犬千代の例でも、彼らは若い時は挿入される側でも、大人になれば今度は挿入する側に転換する。そして普通に女性とも関係を持ち所帯を持ち子供も作る。そこに何の齟齬もない。

「女性との愛やセックスが賛美されたのではない。成人男性が能動的に行う愛やセックスそのものが賛美されていた。これが長い間の成人男性が営む愛と性の真実だった。」

ところが、産業革命や市民革命以降、徐々に社会は年齢秩序が崩壊していった。
高齢者の知恵や優位性といったものが無効になり、若者は学校で知恵を継承され、女性も徐々に地位を獲得していく。現在となっては若い発想のほうが社会を推進していく力があるくらいだ。自由と平等をうたう近代社会の中で性的な開放もたかまっていく。女性も自由になるが男性の性志向も開放され、ここに「ゲイ」が誕生する。
現代のゲイの特徴を筆者は、年齢、地位、教育程度の似通った男性同士のつながり、と定義する。そこに社会的な上下関係はなく、横並びの思想を基本としている。つまり筆者は、ゲイは既存の年齢秩序を無視し破壊する存在だ、と。ゲイが破壊してるわけじゃなくって、年齢秩序の崩壊を象徴する存在、なのかな。
そこで、近代化が進んだとはいえ、まだまだ上下関係が強かった過度期にはゲイへの弾圧が厳しかったのだ。さらに工業社会が奨励した核家族化も弾圧を推進する。日本では容認もされない代わりに厳しい弾圧もなかったが、欧米ではゲイだというだけで死刑になった。理由は宗教の戒律に反するとか自然の摂理に反するとか精神疾患だとかいろいろ言うけれども、筆者によればその背景にはこうした年齢秩序、既存社会への反逆罪というものがあったのだ。

しかし工業化社会がさらに情報化社会へと進むと、年齢秩序は崩壊し横並びの社会となる。女性も社会進出し親の決めた結婚なんてしなくなった。ゲイが社会に認知され始めた。同時に上下関係を基盤とした「ホモ行為」は逆にバッシングの対象となる。
現代のゲイと以前からある同性愛行為は別物である、というのが筆者の主張である。

さて、ここまで来て最終章で筆者は今後のゲイ、あるいは社会のありかたを問うている。
日本ではいまだ年齢秩序が価値観としてはびこり、社会の中心にいるのは老人たち(と、筆者が書いているのだ(笑))である。だから近年になってゲイのカムアウトが容易になった欧米諸国に比べ日本はカムアウトが難しいのだ、と。
そしてこれは、女性の地位向上、経済的自立が遅れていることと密接に連動している。年功序列とともに性別役割分業の価値観も一体になってはびこり、職場は女性に完全に解放されてはいない。これは日本に住む女性であれば多少の差はあれ肌身で感じていることだろう。この本によれば女性国会議員の数は世界186か国中、121位なんだそうである。
このあたり、耳が痛い話である。筆者は専業主婦を批判している。
「専業主婦の存在はホモの受け役である若年男性と同じである。(中略)専業主婦は男性から挿入され、種族保存のために子供を産まされる存在のままである。」
わざと挑発的な部分を抜き出したので不快を抱かれる方も多いかもしれないが、筆者が批判しているのは専業主婦を推奨し男性優位社会を維持しようとする日本社会の制度、あるいは風潮であって、専業主婦個人を批判しているわけではない。こういう年功序列と性別役割分担を重要視する社会では、当然婚姻制度も自由度が低い。家父長制を根底に置いた男と女の核家族を理想としている。
ここに日本社会の閉塞感があり、先進国との差がある。自由と平等の度合いの高い社会はゲイのみならず、ストレートの男女にとっても生きやすい社会なのだ、というのが筆者の主張である。

何も考えず仕事をやめて結婚し夫の姓を名乗り、長く専業主婦をした挙句扶養の範囲でパートの仕事に出る日本推奨型の自分(笑)にとっては、最後は耳の痛い話ではあった。別に私個人を批判されているわけではないんだけども。
しかし、どうしてゲイとかBLとか大好きなんだろうなあ、という問いに示唆を与えてくれた。最後はちょっと理想化しすぎかなあという感は多少あったけれど。


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posted by inoha at 19:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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